〈エルフの長靴〉亭

D.E.の雑記ブログ

【補記】しのばず太郎についての覚書、の補記

この記事は、過去記事「しのばず太郎についての覚書」の続編というか補記にあたります。きちんと清書しようと思ったけど、時間と気力が足りないので箇条書きのままPublishしてしまいます。

なお当記事では原則として『なかま』の「夏の号」は7月頃、「冬の号」は12月頃の発表号を指すものとします。


  • 城北労働・福祉センター編『なかま』に初めて「しのばず太郎」の名前が現れるのは第50号(1998年(平成10年)冬の号)だが、それ以前から「深津徳次郎」名義で作品が発表されており、深津名義での作品発表は第33号(1990年(平成2年)夏の号)から。明確に改名したと宣言されているわけではないが、①深津徳次郎が登場しなくなった号からしのばず太郎が登場、②作品の傾向がそっくり、③過去に深津名義で出された作品のリメイク作が後年の号でしのばず名義で出されている、などから同一人物であるとみて問題ないと思う。例によって「深津徳次郎」が本名かどうかは不明。以下、この記事では深津徳次郎=しのばず太郎として、「深津徳次郎(しのばず太郎)」と記述する場合があります。
  • 「深津徳次郎」名義での登場以降、たまに休載(38・42・54・62・63号)することはあるものの継続して『なかま』に詩を掲載。『なかま』の常連といってよい。
  • 『なかま』第33号における深津徳次郎(しのばず太郎)初掲載作品「男の友情」には、後年『さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル』でも言及された「ポチャリ舟(船)」というフレーズが登場しており、これも「深津徳次郎=しのばず太郎」の傍証となっている。作品の内容からすると、ここでの「ポチャリ舟」というのは「男の友情、それは仲良くポチャリと一緒の(湯)舟に浸かる仲」ということらしい。
    • 但し、第36号(1991年(平成3年)冬の号)発表の「踊ろうよ」では、『さんま・玉緒の~』ではっきり言及されたフレーズ「浮世を捨てた尼さんを 浮世の川へもう一度 流して二人ポチャリ船」が登場しており、さんま玉緒の番組に登場した詩はこちらだろう。この作品における「ポチャリ船」は、番組でもスタッフから言及されたようにどういう意味なのかよくわからない。作品そのものは「踊ろうよ」の題字どおり「みんなで踊ろうよ、上野の森で踊ろうよ」というもの。
  • 平成7年11月(1995年11月)に、しのばず太郎名義の詩集『はじけ豆』が出版されている(奥付の日付を信用するものとする)。
    • 正式名称は『民謡 はじけ豆 抵抗篇』。表紙の作者名も二つ名がついた「うたの仕掛人 しのばず太郎」になっている。『なかま』で「深津徳次郎」から「しのばず太郎」に変わるより、3年も早く「しのばず太郎」を名乗っている。
    • タイトルに「民謡」とあるが民謡が収録されているわけではなく、彼の詩(それまで『なかま』に深津徳次郎名義で発表されていたものが主)が収録されている。とはいえ、さんまの番組で曲をつけてもらうことが夢だったことから考えて、彼は自分の詩を民謡のようなものと思っていた可能性はある。
    • 『はじけ豆』はいわゆる豆本で、90mm×130mmの横長サイズ。簡素な装丁などを考えると、自費出版の同人誌みたいなものと思われる。
    • 前書きには「約5年分の詩を大別したら「社会もの」「妖艶もの」「抵抗もの」の3つに分けられ、今回は「抵抗もの」を中心に集めた。次回以降「社会もの」「妖艶もの」の作品集を作りたい(要約)」とあるが、しのばず太郎の『民謡 はじけ豆 抵抗篇』以外の作品集は確認されていない。なお、しのばず太郎は『なかま』では詩という形でしか自己表現をしていないので、前書きという詩でない形で発言しているのは貴重。
    • 『はじけ豆』は私設現代詩図書館「榛名まほろば」のほか、台東区立中央図書館の地域資料コーナーにも収められている(書誌情報)。台東区立図書館のウェブサイトの書誌情報では、何故か出版年が1997.11になっている。平成7を西暦97と間違えたものか。
  • 2014年放送の『さんま・玉緒の~』の名作選で過去の映像が再放送された(らしい。注:筆者は観てません)しのばず太郎だが、それよりずっと前の『なかま』第53号(2000年(平成12年)夏の号)に「2年ぶりに番組に出してやると打診されて喜んだが後で取り消しになった(要約)」という内容の詩「拝啓TBS様」が掲載されている。さんま玉緒の番組に出たのは良い思い出なのか、それ以降も2回ほど詩に登場している。(第57号(2002年(平成14年)夏の号)の「玉緒ちゃん」、第70号(2008年(平成20年)冬の号)の「花の三人衆」)
  • 後期のしのばず太郎作品では、彼の年齢が詩の中に登場することがある。『コスモス新聞』第39号(2011年9月)で発表した詩の中で「84歳」と言っているが、ほとんど同じ内容の詩が『なかま』第76号(2011年(平成23年)冬の号)にも掲載されている。また、『なかま』75号(2011年(平成23年)夏の号)では「今年四月で84才」とあり、彼の誕生月が4月であることが示唆されている。この号には18年前に小冊子を作ったという内容の詩が掲載されていて、これが詩集『はじけ豆』の可能性がある(年代がちょっとだけズレているという疑問はある。『はじけ豆』は1995年(平成7年)で2011年の16年前)。
  • 『なかま』は第78号をもって休刊状態となるが、最終号だからといって特にしのばず太郎の詩の内容に変化があるというわけでもない(それは他の執筆者にもいえるが)。第78号掲載の作品には「平成26年11月18日」と日付がふってあるものがあり、この「2014年晩秋」というのが、現時点でしのばず太郎の活動が確認できている最後の日付である。「八十七歳」との記載もあり、2014年(の4月)で87歳とすれば、ご存命なら2023年6月時点で96歳となる。

「しのばず太郎」というめちゃくちゃ覚えやすい(忘れない)名前のお陰で記憶に残り、ユニークな名前のお陰でウェブ上での検索でも辛うじて情報が見つかり、そこから手がかりに国会図書館で『なかま』掲載の詩を読むことができたわけで、結果として「しのばず太郎」への改名は良かったのかもしれませんですね。

やはり本文とは特に関係のない上野・不忍池の画像(2023年春撮影)。

編集履歴

  • 2023-06-25 パブリッシュ。
  • 2023-07-20
    • 当記事の趣旨と直接関係ないので、『なかま』執筆陣のひとり「ハッチャン」に関する記述を除去。
    • 詩集『はじけ豆』に関する記述を追加。それに伴い、「さんまの番組に合わせて改名したのでは?」という私の憶測を除去。やはり憶測で記事を書くものではない。出典第一。
    • その他、細々としたミスを修正。