しのばず太郎(しのばず たろう)とは、かつて上野の不忍池周辺に出没していた現代詩人。本名不詳。年齢は、2011年時点で84歳と名乗っている。逆算すれば1999年時点で72歳となる。その活動はほとんど伝わっていないが、1995年に何らかの形で詩集を出しているらしい記録がある。かつて「ドヤ街」今は「福祉の街」と呼ばれる山谷地区で活動していた記録があり、浅草木馬亭で見られた例もあることから、元・山谷地区の労働者だった可能性が高いが、憶測の域を出ない。
1999年(もしくはその前後の年)に、明石家さんまと中村玉緒が司会を務めるテレビ番組『さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかスペシャル』にて「自分の歌を世に出したい」という夢を叶えてもらい、しのばず太郎作詞、瀬川瑛子歌唱による歌謡曲が制作された。この際に登場したしのばず太郎の姿は、眼鏡をかけて帽子を被った小柄な老爺…だったと思う。この様子は同番組の2014年版でも名作選ベスト10の8位として再登場した(※筆者は未見)。
2015年に山谷地区で発行されたミニコミ誌に載せられた詩を最後に(その号をもってミニコミ誌が休刊した)、活動は確認されていない。存命ならば2023年時点で90歳を大きく超えているはずである。
作品の多くは山谷地区のミニコミ誌『なかま』で読むことができ、この冊子は国会図書館に収蔵されている。やや下品だったり擬音の繰り返しが多く、生活で感じた憤りやささやかな幸せを描いた作品も多い。
花の三人衆
一、予想紙片手に ごろ寝して
テレビに映って ごろ寝して
何にか用かと ごそごそと
たまげたやつだよ ごそごそと二、あれから何年 経ったろう
ビデオもあります CDも
瀬川の暎子さんが 歌ってくれた
花の三人衆三、北風寒く 成りました
皆様風邪など ひかぬ様
まめで達者で お元気で四、三人並んで シャナシャナと
こゝを先途と くねくねと
オカマの姐さん くねくねと(城北労働・福祉センター編『なかま 第70号』(2008年12月)p.96より引用。「暎子」は原文ママ)
以上は、私の記憶、および国会図書館での調査や主に個人の手によるブログやウェブサイトの記事(消失しURL不明となったところを含む。この場合「私の記憶」に頼ったものとなる)をまとめたものであります。かつては、しのばず先生の作詞(テレビ放送から聞き取ったものだろうか)が載っていたサイトがあったはずなのだが、2023年現在は消滅したのか検索エンジンがポンコツ化したのか、見つかりませんでした。
ちなみに、私としのばず先生の間には何の面識もなく、私が勝手にテレビで見て追って「先生」と呼んでいるだけです。シャ~ナシャナシャナシャナシャナとぉ~♪
2023年6月25日追記: この記事には、続編というか補記にあたる記事「【補記】しのばず太郎についての覚書、の補記」があります。
参考資料
- 『なかま』 城北労働・福祉センター編。少なくとも第69号(2008年)~78号(2015年、休刊)のすべての号にしのばず太郎が寄稿している。それ以前の巻は未確認
- コスモス新聞 第39号 - 2011年9月、特定非営利活動法人 訪問看護ステーションコスモス。自作の詩の中で「84歳」と発言
- http://harunamahoroba.art.coocan.jp/newpagesi.htm。現代詩資料館 榛名まほろば。蔵書目録に「しのばず太郎 はじけ豆 1995/11/1」と記載
- しのばず太郎さん…! | こみちこの道 - 2012年10月28日。浅草木馬亭で会ったという情報
- 角田 陽一郎 on Instagram: "不忍池。僕がDなりたてで演出した夢かなえたろかSPの企画は、しのばず太郎というお爺さんの夢を叶えることだった。今から20年近く前。" - 2018年2月18日
- さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかSP(2014年1月12日放送分) | Lilyのブログ - 2015年2月23日。「浮世を捨てた尼さんを 浮世の川へもう一度 流して二人でポチャリ船♪」は歌詞の一部か